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3.安土と織豊系城郭

3-1 安土城下町への道

中世から近世への城郭・城下の展開でもっとも画期的であった安土城下町の成立を、那古野・小牧・岐阜城下町に遡って系統的に明らかにしていきます。
城の発達は、とくに出入り口に注目して発達モデルを示します。
安土については、金箔瓦などによって壮麗な城郭を偲ぶだけでなく、幻であった全貌を大型モニターを使用したコンピュータグラフィックによって再現しています。
そしてその後の城に安土がもった政治的メッセージがどのように受け継がれ、あるいは受け継がれなかったのかを考えていきます。


安土城復原CG
(天主は内藤昌氏の復元による)

<主な展示資料>
出入り口発達モデル
愛知県那古野城V堀はぎ取り断面
愛知県那古野城出土陶磁器
愛知県小牧城木型
愛知県小牧城出土陶磁器
岐阜兼岐阜城下加納新市場宛楽市制札
滋賀県安土城出土金箔瓦
滋賀県安土城大手道復原模型
安土城復原CG(天主は、内藤昌氏の復元による)
安土山下町中掟書

3-2 織豊系城郭の広がり

天下統一の進展とともに安土城の形を受けついだ、織豊系城郭が列島の各地に出現していきました。
織豊系城郭は、外枡形や、馬出しといった、高度に発達した出入り口を備え、石垣をめぐらしました。
高石垣や瓦は、織豊期以降に各地の城郭で本格的に取り入れられていきました。
金箔瓦は、安土桃山時代の華やかな雰囲気をよく伝えるとともに、新しい権力と社会のあり方を人びとにはっきりとしめすための装置でもあったのです。
また、伊達政宗が築いた仙台城本丸の出土陶磁器は、大名の豪壮なくらしぶりを伝えており、長浜城下の豪商宅から見つかった陶磁器群は、新しい時代に相応しい流通網ができていたことを示しています。
豊臣秀吉や徳川家康をはじめとして、今も人気の高い武将たちが活躍した時代を、城の変遷からみていきます。

<主な展示資料>
大阪府大坂城出土金箔瓦
大阪府大坂城出土陶磁器
京都府伏見城出土金箔瓦
愛知県清須城出土金箔瓦
愛知県清須城出土信雄期陶磁器
宮城県仙台城本丸出土瓦
宮城県仙台城本丸出土陶磁器・ガラス
福島県会津若松城出土金箔瓦
山梨県甲府城出土金箔瓦
岡山県岡山城出土金箔瓦
高知県岡豊城出土文字瓦
高知県浦戸城出土瓦
福岡県小倉城出土金箔瓦
熊本県佐敷花岡城出土瓦
宮崎県都城出土桐紋瓦
織田信長朱印状
豊臣秀吉朱印状
徳川家康黒印状
聚楽之図
丹波篠山城絵図
愛知県清須城本丸石垣胴木(石垣復原展示)(一般図書室前ロビーに展示)

3-3 近世城下町の完成

文禄・慶長期を境に、各地に城を中心にした近世城下町が成立しました。
それは地域の都市的機能を一元的に集約した圧倒的な政治と、経済の中心地の成立でした。
さらに、そういった地域の城下町は、江戸と大坂を核として編成された列島規模の海路・陸路の交通ネットワークに結びついていました。
天下統一の大きな改革の動きが行き着いた江戸幕府のもとで、新しい列島の政治・経済・流通システムが完成したのです。
近世城下町こそは、新しい時代の象徴ということができます。
中世以来の城郭変化は急激なものでしたが、それは連続したひとつづきの変化であり、近世城郭こそが、中世城郭の発達の到達点だったのです。


江戸図屏風(部分)

現在の日本列島の主要な都市のほとんどが、近世の城下町を起源にすることを考えるとき、近世城下町の成立は、きわめて画期的な出来事としなければなりません。
幕府による城郭の統制、定型的な城郭プランの完成など、近世城郭が共通してもっていた特色を解き明かしていきます。
特に外枡形や馬出しなど、安土以降に出現した共通したモチーフを絵図の読み解きから示していきます。
建築模型からは、近世城郭のシンボルとして安土以降受け継がれた、天守の造形を、立体的に示します。
また、城といえば天守と短絡的に捉えられがちですが、今回は、兵庫県姫路城の詳細な大絵図パネル(博物館から完成品を提供)によって、近世城郭の本来の姿を天守と合わせて理解できるようにしていきます。

<主な展示資料>
江戸図屏風
正保城絵図(同時2点展示)
佐倉城絵図
牙城城郭実測図(岡山城の櫓や門の鳥瞰図)
江戸城天守模型
松本城天守分割模型
姫路城天守群模型

3-4 佐倉城

国立歴史民俗博物館のある、佐倉城址公園内にある佐倉城は、すぐれた織豊系城郭としての特色を備えています。
展示室だけでなく実際の城跡のポイントにも解説版を設けて、展示で学んだ城郭知識を佐倉城を探訪して体感することができます。
展示室にはその助けとなるように、佐倉城の組み立て模型を設置しています。 またすぐ隣の酒々井町には、佐倉城下町の前身である本佐倉城があります。
こうした城下町の移転は、近世初頭に全国で行われたものです。
本佐倉から佐倉への都市移転は、全国的にも、もっとも明快な事例のひとつであり、そうした観点から全国的な城下町の動きと合わせて位置付けをしていきます。


佐倉城の礎石

<主な展示資料>
北条家伝馬手形(もしもしコーナー)
千葉県本佐倉城出土陶磁器
千葉県佐倉城椎木曲輪出土陶磁器
千葉県佐倉城組み立て模型

佐倉城址案内

2000年1月撮影

絵図から城跡の見所をご紹介します.番号は絵図・空中写真の番号に対応しています.

土塁 田町門 愛宕坂 円勝寺と(円正寺)と愛宕神社 侍屋敷(椎木曲輪) 馬出し 椎木門 不明門 二の門と御対面所 一の門と本丸 天守 出丸 姥ヶ池からの道 空掘 (宿泊棟下) 三の門 大手門
  1. 土塁
    土塁と堀の外は、成田街道に沿った城下町の一部「田町」です.絵図では、道の突き当たり に高札場も描かれています.土塁の内側には足軽長屋がありました.
  2. 田町門
    現在の入り口は、連隊建設の際にまっすぐ出入りできるように変更されたものです.
  3. 愛宕坂
    田町門から、現在歴博のある椎木曲輪へ上がるこの坂は、愛宕神社の下にあるため、「愛宕坂」と呼ばれていました.
  4. 円勝寺(円正寺)と愛宕神社
    円勝寺は明治の廃仏毀釈で消滅しました.奥の愛宕神社は、今でも基壇があります.
  5. 侍屋敷(椎木曲輪)
    歴博があるのは「椎木曲輪」と呼ばれる侍屋敷地区で、連隊時代は兵舎がありました.
  6. 馬出し
    歴博のある椎木曲輪から本丸方面への防御された出入り口です.
  7. 椎木門
    馬出しから堀を越えた内側にある門.隣にあった米蔵には年貢米が集められました.
  8. 不明門
    二の丸の出入り口の一つ.連隊時代に破壊され、堀も埋められて病棟が作られました.
  9. 二の門と御対面所
    二の丸への通常の出入り口.城主は二の丸の「対面所」に居住していたと言われます.
  10. 一の門と本丸
    本丸の周囲は土塁と壁で囲まれ、一の門の他、銅櫓、天守、台所門などがありました. 本丸内部には御殿建築がありました.
  11. 天守
    外側は三層内側は四層になっていました.1813年(文化10)に失火で焼失しました.
  12. 出丸
    本丸の下には馬出し状の出丸が二つ設けられ、死角もないように工夫されています.
  13. 姥ヶ池からの道
    大きな侍屋敷と「空地」で両側を厳しく防御され、堀底状になっています.
  14. 空掘 (宿泊棟下)
    現在は通路ですが、本来は侍屋敷地区と城の中心部を区切る重要な空堀の一部です.
  15. 三の門
    現在広場や学校がある侍屋敷地区(連隊時は練兵場)と城の中心部を区切る門です.
  16. 大手門
    重臣の屋敷が並ぶ「広小路」(現在の桜並木)の突き当たりに、大手門がありました.堀がくい違って道を屈曲させ、さらに「枡形」と呼ばれる空間を設けた厳重な構造です.