茶の湯の主役は「日本のバラ」

  • 執筆者:藤田節子・北村文(くらしの植物苑)
  • 公開日:2006年3月25日

万葉集にツバキ(椿)は9首しかでてきません。「落首」といわれる花の散り方が嫌われたのでしょうか。しかし室町時代中期から茶の湯全盛とともにツバキは茶の湯の文化に合わせて特異な文化を形成してきました。茶花の主役はツバキといっても過言ではありません。炉開き(11月)のころからは主役がツバキにとって代わられるほど重要な茶花です。花の少なくなるこの季節から花盛りの4月ごろまで長期(約半年間)にわたり咲き続けるため、何よりの好材料となりました。今の時期、まだどこかの茶室ではツバキの花が生けられているのを見ることが出来ると思います。京都の寺社には名椿といわれる「侘助」「白玉」の古木や銘木、各地にも茶花として残る著名な品種の数々があり、どれも古い時代の文化遺産として今日まで受け継がれています。

江戸時代、ツバキブームは250年ほど続いたといわれます。後水尾天皇や徳川家光、徳川光圀(水戸黄門)もツバキ愛好家だったといわれています。18世紀始めに日本のツバキがヨーロッパに渡り、「日本のバラ」とよばれ、フランスの作家アレクサンドル・デュマ・フィスは1948年に小説「椿姫(La Dame aux Camellias)」を発表、これをもとにしたイタリアの作曲家ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ「椿姫」は有名です。ツバキは学名をCamellia(カメリア)といいます。日本に自生するツバキ属は、ヤブツバキ、ヤクシマツバキ、ユキツバキ、サザンカ、ヒメサザンカで、6000種類以上あるとされる世界のツバキ品種のうち、3分の2以上が日本のツバキ属がもとになって作られていることを考えると、日本が世界に誇るべき花樹ということになります。

さて、花の鑑賞だけでなく、縄文時代には材を利用していたことがわかってきています。いくつか例を挙げると、1.石川県三引遺跡から6000年前のものと思われる赤漆塗りの櫛が出土。ヤブツバキの材を利用し、櫛歯にはムラサキシキブの材を使用。2.福井県鳥浜貝塚から5500年前の櫛が出土。赤漆塗りの1本作りのヤブツバキを使った立派なもの。ヤブツバキを使用した石斧柄も出土。3.静岡県角江遺跡からはヤブツバキの杵が出土、など。これらは2月25日に歴博講堂で行われた「日本の植物文化を語る」のなかで鈴木三男先生(東北大学大学院)が語られたツバキのお話です。ツバキはこんなに古くから日本人と深く関わってきたということに驚きました。ヤブツバキの櫛で髪をすき、花を髪飾りにしていたのでしょうか。縄文人も愛したツバキ・・・と思って今咲いている苑内数種類のツバキを見てみるとまたひとつ感慨深いものがあります。

ヤブツバキ 王照君 鳥浜貝塚の縄文時代前期の朱塗りのヤブツバキ製の縦櫛
ヤブツバキ(ツバキ科ツバキ属)Camellia japonica ツバキの品種のひとつ
[王照君(おうしょうくん)]
鳥浜貝塚の縄文時代前期の朱塗りのヤブツバキ製の縦櫛 (複写)

参考文献

  • デュマ・フィス著 新庄嘉章訳『椿姫』(新潮社)2004
  • 『やさしい庭木事典 -選び方と手入れ-』(主婦と生活社)1983
  • 永井宗圭著『椿をいける』(淡交社)2004