くらしの植物苑観察会

毎月第4土曜日(4月はみどりの日)
13:30に苑内のあずまやに集合
15:30頃までの予定、苑内の季節の植物も観察

  • 11月27日 第80回観察会「酒と民俗」 青木隆浩(歴博)
  • 12月25日 第81回観察会「冬至とクリスマス」 安室知(歴博)
  • 1月22日 第82回観察会「木とくらし」 山田昌久(東京都立大) 

酒と民俗

  • 執筆者:青木 隆浩
  • 公開日:2004年11月17日

「くだらない」の語源をご存知でしょうか?この言葉は灘・伏見酒を「下り酒」と呼び、一方で関東酒を「下らない酒」と蔑称 したことに由来します。しかし、第二次大戦以前、関東地方の酒造家は数多く、生産量も安定していました。本当に関東酒が「下らない酒」であれば、近代期の 流通網整備とともに生産量を減らしたはずです。そのようにならなかったのは、「下らない」の語源と違って、関東の酒造家が新技術の導入や酒造好適米の地元 栽培を進めるなど、清酒の品質向上に熱心だったからです。

ところが、戦時・戦後統制は灘・伏見酒と関東酒の位置関係を大きく変えていきます。戦時・戦後の食糧難に対し、政府は酒造米の割当量を制限します。畢竟、清酒の供給量は不足し、これを補うため市場では水で薄められた清酒が出回りました。そこで、政府は級別公定価格を導入し、清酒の酒精分を維持しようと 試みます。この際、酒精分の多い灘・伏見酒が1級に、少ない関東酒が2級以下に指定されました。従来、関東の酒造家は灘・伏見酒と差別化を図るために酒精 分の少ない酒を造っていましたが、それが仇となって2級以下に指定されたのです。

このように清酒の級別公定価格は従来、酒質の高低と無関係でしたが、戦後になると酒質が等級と一致していきます。なぜなら、1950年代まで安い2級酒 に人気が集中したため、関東の酒造家が酒質の向上よりも少ない原料米で可能な限りたくさんの清酒を造ることに力を注いだからです。ところが、1960年代に入ると所得の増大に伴って1級酒の人気が高まり、それによって灘・伏見酒は急速に生産量を拡大します。1960年代以降にみられる灘・伏見酒の急成長と 関東酒の停滞は、酒造技術の格差よりも戦時・戦後統制の影響によるところが大きいのです。 

麹づくり(栃木県)