くらしの植物苑観察会

毎月第4土曜日(4月はみどりの日)
13:30に苑内のあずまやに集合
15:30頃までの予定、苑内の季節の植物も観察

  • 2月28日 第71回観察会「早春の彩り」 辻誠一郎(歴博・歴史研究部) 
  • 3月27日 第72回観察会「桜と花見」 岩淵令治(歴博・歴史研究部)
  • 4月29日 第73回観察会「日本の花文化」 新谷尚紀(歴博)

早春の彩り:梅-梅と天神さん

  • 執筆者:辻 誠一郎
  • 公開日:2004年2月26日

京都の北野天満宮では毎月25日に市がたち、骨董などを求める参拝者で境内はごったがえします。この日を京都では天神さ んと呼んでいます。25日に催されるのは、祭神である菅原道真(845~903)の命日が2月の25日であることに因んでいます。その2月25日は特別の 天神さんで、道真がこよなく愛したといわれる梅を抱き合わせて梅花祭が催されます。今年の梅花祭は、風がなく温かい好天に恵まれて、境内いっぱいに賑わい ました。

京都の人々が天神さんとも北野さんとも呼んでいる北野天満宮は、道真の左遷先である九州の太宰府天満宮、江戸の天神信仰の拠点である湯島天神や亀戸天神 と並んで、梅の名所の一つになっています。境内には松林とともに大きな梅林があり、開花の今頃は、松の青さと梅の紅白がほどよいコントラストとなって、い よいよ温かくなってきた春を彩っています。

梅が海をわたって日本にもたらされたのは、遺跡から出土する植物の遺体から知る限り、弥生時代に入ってからのことです。現在の分布や歴史資料から、中国 が原産であることはまちがいありません。その中国の前漢の時代には、都市の緑化に品種改良された梅が植えられたという記録もあるので、日本にも観賞の対象 となる梅が持ち込まれたことが考えられます。その後、唐の時代では、松・竹とともに潔白貞節を表象するものとして歳寒の三友(さいかんのさんゆう) とたたえられており、古代日本に観賞用の花梅がもたらされました。『万葉集』の 118首もの梅を詠んだ歌は、花梅の観賞がいかに流行していたかを示しています。奈良から京都へ遷都されてからも、花梅は庭木として重要な存在であったこ とは、紫式部などの残した多くの記録から知ることができます。

道真が左遷され、太宰府に赴く日、書斎であった紅梅殿の傍の梅を惜しんで「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」と詠んだことはよく知られています。この梅の片枝が道真を慕って空を飛び、太宰府に根を下ろしたというのが飛梅(とびうめ)伝 説です。梅は祭神道真に不可欠なものとなり、各地の天満宮には多くの梅が植栽されるようになりました。道真を神として祭る天神信仰は中世から近世へと高ま りを見せ、梅は信仰とともに一般に広まっていったと考えられます。

近世では、他の多くの園芸植物と同様に、花梅は庭木として庶民の生活の中に溶け込んでいくようになり、また、果実を利用する実梅の栽培も各地で盛んに なっていきました。このような流れに相まって、盆栽というジャンルが隆盛し、いわゆる盆梅が流行するようになりました。このように見ると「海をわたった華 花」の一つである梅の歴史は、日本文化史を物語ってくれているようです。