くらしの植物苑観察会

毎月第4土曜日
13:30に苑内のあずまやに集合
15:00頃までの予定、苑内の季節の植物も観察

  • 10月26日 第55回観察会 「菊の文化史」辻 誠一郎(歴博)
  • 11月23日 第56回観察会「冬の華・サザンカ」箱田 直紀(恵泉女学園大学)
  • 12月21日 第57回観察会「冬至の植物文化史」辻 誠一郎(歴博)

菊の由来

  • 執筆者:辻 誠一郎
  • 公開日:2002年10月21日

菊の季節がやってきました。わたしたちが菊というとき、それは観賞用菊あるいは食用菊を指しています。今日では数千とい う多数の品種からなっている巨大な品種群をまとめて菊という一字の名称で表しているのです。植物学ではキクと片仮名で表記します。

キクを含むキク科という巨大な植物群は、おびただしい種類の植物の中でもっとも進化した性質をもっていて、「進化型」植物と呼ばれています。種数が多い 上に複雑な花の構造をしている厄介な科なので、植物学者もなかなか研究の対象にしようとはしませんでした。そんな中、この科の分類を一生の課題としたのが 京都大学の北村四郎(故人)でした。そのキク科植物の権威・北村によれば、菊は、中国中部に自生するチョウセンノギク(白または淡紅色)と中国中南部から 日本に自生するハイシマカンギク(黄色)の二つの変種が交雑してできたものであるというのです。二つの変種が自然に分布しているのは中国中部なので、近接 していた二つが自然に交雑したか、あるいは栽培されていた二つが交雑してできたということになります。

中国でできた自然雑種の菊は、奈良時代から平安時代の初頭にかけて日本に持ち込まれたと考えられています。菊というと純日本的な植物と思っている人も多 いかも知れませんが、古代に海をわたってきた植物だったのです。万葉集に菊は登場しないので、その後に日本に入ってきたと考えられていますが、正確にはい つであったか定かではありません。文書に記された記録からは、平安遷都以降に園芸植物として栽培され、旧暦9月9日の重陽の節句に菊花の呪術が行われてい たことを知ることができます。中国では、菊はすぐれた薬効をもつ植物として古くから知られていて、4世紀に編まれた不老長生を説く道教書には、菊が群生し ている谷を下ってきた水を飲んだ村人たちが長寿になったという「菊水伝説」が書き留められています。奇数を尊重する中国では、最大の奇数である九が重なる 重陽節では、菊の薬効が重要な役割を果たしていたのです。そのような重陽節における菊の呪術やユートピア伝説である「菊水伝説」が日本の貴族社会でも受け 継がれ、季節の行事の中に定着していったのです。

古典菊とされるものは、嵯峨菊、伊勢菊、肥後菊、江戸菊で、丁子菊も含めることがあります。いずれも江戸時代の18世紀から19世紀初頭に作りだされた 個性的な地方菊です。嵯峨菊や伊勢菊は鎌倉から室町時代に作りだされたとも言われていますが、今日に受け継がれた独特の個性は江戸時代に入ってから作られ たとされています。

19世紀に中国からイギリスに伝えられた菊は、イギリスでも品評会が開かれるほど静かなブームとなりましたが、1860年に来日したイギリスのプロのプ ラント・ハンターであるロバート・フォーチュンがもたらした日本の菊が世界を驚かせ、日本が誇る世界の園芸植物にしていったのです。