くらしの植物苑観察会

毎月第4土曜日
13:30に苑内のあずまやに集合
15:00頃までの予定、苑内の季節の植物も観察

  • 9月28日(土) 第54回観察会 「棉から綿へ」 渡邊 重吉郎(歴博)
  • 10月26日(土) 第55回観察会 「菊の文化史」 辻 誠一郎(歴博)
  • 9月8・15・22日(すべて日曜日)、13:30~
    ギャラリー・トーク「ボタニカル・アートとシーボルト」 講師 辻 誠一郎(歴博)
    13:30にあずまや前に集まってください。

ボタニカル・アートとシーボルト その2

  • 執筆者:辻 誠一郎
  • 公開日:2002年9月3日

シーボルトとツッカリーニが著した『フローラ・ヤポニカ「日本植物誌」』に収められた植物画のもとになった原画は千余点 からなり、サンクト・ペテルスブルクにあるコマロフ植物学研究所の図書館に保管されていました。それらは、シーボルトの没後に家族から購入されたものです が、その購入を強く要望したのは、1860~1862年に来日し、須川長之助を助手として膨大な植物標本の収集を行ったマキシモービッチでした。彼は、東 アジアの植物の学名(正式名称)や命名者としてしばしば登場するほど、東アジアの植物研究に深くかかわり、大きな功績を残した人物です。東アジアの植物研 究を進める上でシーボルト・コレクションが不可欠なものであったことは、『フローラ・ヤポニカ』の刊行が世界に大きなインパクトを与えたことからもうなず けます。

ところで、『フローラ・ヤポニカ』は、膨大な植物画のみを基礎にしていたわけではありません。シーボルトは、日本で自身が収集した植物標本(乾燥した押 し葉標本)や彼をしたっていた日本の植物研究者が収集した膨大な植物標本をオランダに持ち帰りました。さらに、生きたままの植物をたくさん持ち帰りまし た。植物標本はおよそ4000種にものぼると見られ、大半はライデンの国立植物標本館に、一部はミュンヘン大学に保管されています。生きた植物はライデン 大学付属植物園にも生存していますが、シーボルト考案の通信販売によってヨーロッパ各地に頒布されました。それら植物標本と生きた植物が、日本の植物の記 述の基礎になったことは間違いありません。さらに『フローラ・ヤポニカ』には、日本人と植物のかかわりに関する記述が盛り込まれていて、このことが高い評 価を得ることにもなったのです。その記述の基礎になっているのは、シーボルト自身が蓄積した膨大なメモと民俗資料であったと考えられます。大半が日本人絵 師によって描かれた植物画は、それ自身高い芸術性も兼ね備えており、観賞に値することは言うまでもありませんが、シーボルトとツッカリーニの偉業、および 『フローラ・ヤポニカ』の意義を考えるとき、植物標本や生きた植物を含めたコレクションの全体を見ておかなくてはならないでしょう。

日本の植物をヨーロッパに初めて紹介したのは、1690年に来日し、2年間滞在したオランダ商館医師のケンペルでした。彼は、1712年、『廻国奇観』 を著し、その一部に日本の植物を盛り込みました。この時、1820年代になって好評を博したツバキが初めて紹介されました。1775~1776年に日本に 滞在したツュンベリーは、1784年、『日本植物誌』を著し、正式な学名によって、26の新属、 390の新種を含む 812種を紹介しました。近代日本の植物学の基礎とされています。