くらしの植物苑観察会

毎月第4土曜日(13:30 ~ )

  • 5月25日(土) 第50回観察会『朝顔を育てる』渡邊 重吉郎・高橋 宏(歴博)
  • 6月22日(土) 第51回観察会『海をわたってきた樹木』辻 誠一郎(歴博)
  • 7月27日(土) 第52回観察会『古代のメロン仲間』藤下 典之(前・大阪府立大学)

大輪朝顔の発達について

  • 執筆者:高橋 宏
  • 公開日:2002年5月15日

大輪朝顔は明治の中頃に大きな花をつける洲浜性から急速に発達してきました。大輪咲の作り方には2つの流れがあり、大阪 で発達した大輪本位の青斑入り蝉葉(せみば)種の行灯作りと、名古屋で発達した容姿本位の黄蝉葉種の切り込み作りです。その他にも京都で発達した数咲作り や、熊本の肥後朝顔の小鉢蔓作りなどがあります。

明治中頃までは花の大きさは12cmほどでしたが、大阪で黄千鳥葉「常宮(とこみや)」の15cmから、青斑入り千鳥葉「紫宸殿(ししんでん)」の 18cm。大正末期に青斑入り蝉葉に改良され21cm、昭和の戦前には23cmまでになりました。

また、明治30年代後半にも名古屋朝顔会の一部の熱心家が熊本の肥後朝顔を導入し黄鍬形千鳥葉(きくわがたちどりば)に改良し、その後色が良くて色彩模 様が良い黄蝉葉種が生まれました。門外不出とされましたが、大正の中頃に京都に流出し全国に広まりました。その中には現在でも栽培されている「花王(かお う)」(桃覆輪)もありました。鉢の上で咲かせ、花の大きさだけでなく、色やバランスを重視したために、青斑入り蝉葉種の花の大きさには差をつけられまし た。

京都では大正13年に京都朝顔研究会で黄蝉葉種による数咲作りが発表され発展しました。変化咲は出物を得るために数多くの種をまかなければなりません が、大輪咲の場合には良い種子を得られれば大きな花が咲くこともあり栽培者が増加していきました。

戦後名古屋、東京、大阪、京都と相次いで朝顔会が復興し全国的に愛好者が増えていきました。その中で東京で「天津(てんしん)」、長野で「信濃路」、福 岡で「太平の誉」が生まれ、それらをもとにして西宮の故八馬直次郎が昭和35年に「初誉(はつほまれ)」で初めて8寸(24.5cm)を、そして「初娘」 で25cmを記録しました。東京では昭和41年に名花「東娘(あずまむすめ)」25cm咲きが誕生しました。大阪の故中橋常次郎が万博系を昭和45年に発 表し、昭和49年に「万博藤霞絞」を26cmに咲かせました。

切り込み作りは昭和40年までは花径15~17cmが殆どでしたが、昭和41年に田口秀丸氏育成の「雪月花」で20cmを超え、故樋口進亮が「香炉峰」 「豊醇」などの大輪花を発表して花の大きさは大躍進をしました。

平成になり活躍された方達が相次いで亡くなられ、栽培の難しさもあり栽培者も減ってきました。しかし根強い人気があり、青斑入り蝉葉の花径の記録は更新 されていませんが、色彩や育て易さなどの改良がされてきています。一例として、浅葱色の花は大きく咲きませんでしたが、昨年の『伝統の朝顔』展では、高橋 が育成した「浅黄の誉」(濃い浅葱色)は24cmにもなりました。今後も色が良くて育てやすい品種の育成が必要だと思います。