くらしの植物苑観察会

毎月第4土曜日(13:30 ~ )

  • 2月23日  第47回『日本の木工文化』山田 昌久(東京都立大学)
  • 3月23日  第48回『春の山菜』辻 誠一郎(国立歴史民俗博物館)
  • 4月29日  第49回『花の文化史』佐原 真(国立歴史民俗博物館前館長)

日本の木工文化と植生

  • 執筆者:上野祥史 (歴博)
  • 公開日:2002年2月18日

木工文化が育まれる最大の条件は、どこかに森林をもっている植生が存在していることです。木工文化が植生と密接な関係にあると言われるのはそのためで す。ただ、植生は木工のための資源としてだけではなく、食料として、燃料として、また景色をつくる要素としても人間の生活には不可欠な資源であり、哺乳類 や昆虫などのたくさんの動物たちにとっても互いに深いかかわりを持ち合っています。それだけでなく、植物は気候とも密接なかかわりをもっているので、環境 の変化によってその内容は変わっていくのです。そのように考えると、木工文化とは、環境の変化、植生の変化と密接な関係をもち、一方では人間の活動とも深 くかかわって移り変わっていくものと言えるかも知れません。

東京都立大学の山田昌久さんは、10年も前に、日本列島内の約3000にも及ぶ遺跡から出土した木材の遺物に関する膨大な資料を整理して『日本列島に おける木質遺物出土遺跡文献集成-用材から見た人間・植物関係史』という242ページに及ぶ論文を発表しています。山田さんは、日本列島における木材の利 用方式には明瞭な変動期があることをつきとめ、樹種の用途、そして人間の生産・流通経済の変化と密接な関係をもっていることを明らかにしています。その大 きな変動期とは、4世紀以前と12~15世紀であるとしています。山田さんが言う4世紀以前というのは、縄文晩期から古墳時代にあたります。そこでは、適 材識別(つまり用途に応じて多種類の樹種を利用すること)と丸太材の利用から、針葉樹・広葉樹の利用と割り板材の利用への変化が見られます。また、木材入 手の方法は、近隣の木材利用から比較的範囲の広い地域の木材利用へと変化したとしています。一方12~15世紀の変動期では、針葉樹材の組織的な利用と山 地の木材生産へ大きく変化したとしています。つまり、都市から遠く離れた奥山の針葉樹を利用するとともに、森林資源の生産をするようになったと言うので す。

縄文晩期から古墳時代にかけて、稲作農耕の伝播と波及によって平野部の景観は大きく改変されていきました。農耕施設、農耕具、建築材として割り材の利用 が著しく多くなりました。針葉樹の利用も目立つようになり、鉄製の加工具の大量生産によって、針葉樹の加工が容易になりました。その背景には、気候の変化 によってスギやコウヤマキ、モミなどの針葉樹が増加しつつあったことは見逃すことができません。

12~15世紀を境にスギ・ヒノキの利用件数が各地で増加しました。各地の都市を中心とする地域社会への発達という変化は、都市周辺での木材資源の枯渇 を補うために、奥山の針葉樹の搬出と流通に拍車をかけたに違いないのです。