くらしの植物苑観察会

毎月第4土曜日(13:30 ~ )

  • 11月24日 第44回『冬の華・サザンカ』渡邊 重吉郎(歴博)
  • 12月22日 第45回『冬の味覚』辻 誠一郎(歴博)
  • 1月26日 第46回『魔除けと植物』辻 誠一郎(歴博)
  • 2月23日 第47回『日本の木工文化』佐原 眞(歴博前館長)

マツの話

  • 執筆者:辻 誠一郎
  • 公開日:2001年11月13日

マツと言えば、ふつうはアカマツとクロマツを指しています。クロマツは海に面した沿岸に、そしてアカマツは内陸に、おおむね本州、四国、九州ではどこに でもあり、ついこの前までは、コナラやクヌギといったナラ類とともに里山の主役でもありました。それがいつの間にか松食虫のえじきとなって、葉も枝も、そ して幹もすっかり色あせてしまいました。幹がぼんぼんになって、倒木となっているところも少なくないでしょう。おそらく、まだ健在な姿が見られるところ は、ほんとうに限られているのではないでしょうか。

秋から冬にかけて、落葉樹の木の葉が見る見る色づいてきて、かつてはマツがもっとも引き立っていたものでした。わたしの郷里の滋賀の山地から丘陵地帯で は、30年も前までは生活の中に深く溶け込んだ存在でした。「こなかき」という竹で作った熊手で、ワラ製の「ひげなし」という大きな入れ物にマツの落ち葉 をたんまり集めて、風呂や竈(かまど)の焚き付けにしたものです。間引きした細いマツは、切り倒して道の補修のための杭など土木に使ったものです。家を改 築するときなどは、もっとも重要な梁(はり)に山から切り出したとっておきのマツを使ったものです。勢いがなくなったマツは、輪切りのあと斧で「割り木」 にして、風呂や竈の燃料にしました。この季節の記憶が鮮明なのは、きっとマツの火の暖かさが身に染みているからかもしれません。

そんな生活誌は、西日本では平安時代の頃には定着したようです。古墳時代から古代にかけての乱開発のあとにできたマツ林が、しだいに日常生活に不可欠な 資源となり、枯渇することのない資源として維持されてきたのです。『万葉集』にはマツの歌が76首もあります。樹木でもっとも多いのはウメですが、マツは それに次いで多いのです。その頃のマツが、里山のようであったかは確かではありません。しかし、平安時代に松茸(まつたけ)を食する記録が登場することで 里山らしい景観が予測されます。室町時代の『洛中洛外図』には、すっかり定着したマツ林が読み取れます。

中世都市の鎌倉では、都市の建設とともに一気に周辺はマツ林になってしまいました。房総をはじめ関東一円にマツ林が広がるのは中世の中頃からで、平野部 を中心とした開発が大いに関係していると考えています。江戸時代になり、17世紀も後半になると盛んにマツ林が造られていきました。造林あるいは植林で す。江戸城の外堀の工事や水辺の開発には大量のマツの杭材が使われていたことが遺跡の発掘調査から分かってきています。それほどに都市建設の土木・建築の 用材として不可欠なものとなっていったのでしょう。それだけでなく、燃料としての需要ものびたと考えられます。現在よりはるかに寒かった「小氷期」と呼ば れる当時、マツの火の暖かさが身に染みた人々はよほど多かったに違いありません。