くらしの植物苑観察会

毎月第4土曜日(13:30 ~ )

2月24日(土)第35回くらしの植物苑観察会
「植物の冬のすがた」
講師:中川 重年(神奈川県自然環境保全センター)

日本にしかない針葉樹 コウヤマキ

  • 執筆者:辻 誠一郎
  • 公開日:2001年1月17日

古語でマキと言えば、針葉樹のコウヤマキを指します。遠目ではクロマツのようであり、近づけば葉がずいぶん太いのでナギやイヌマキの仲間のようにも見え ます。かつてはスギの仲間と考えられて、スギ科に入れられていました。今では、独立して、コウヤマキ科とされていますが、この科にはコウヤマキ属の1属 に、コウヤマキ1種しかありません。つまりコウヤマキ科にはコウヤマキ1種しかないのです。それほど特異な植物だと言えるのかも知れません。

世界広しといえども、現在では日本にしかない貴重な植物です。木曽から三河、高野山を含む紀和山地、新潟・福島県境域などおよそ7ヵ所、分布域も限られ ていて、しかもそれぞれが遠く離れているのです。数百万年前の温暖な気候に見舞われていた頃は、北半球に広く分布していましたが、気候の寒冷化にともなっ て分布域はせばめられ、ついに日本だけに生きのびたのです。

江戸時代、木曽五木と言えば、ヒノキ、サワラ、アスナロ、コウヤマキ、ネズコの5種でした。高野六木と言えば、ヒノキ、ツガ、モミ、アカマツ、スギ、コ ウヤマキの6種でした。すべてが針葉樹であることは特筆すべきことで、日本の木工文化がいかに針葉樹に傾倒しているかをものがたっています。いずれにも含 まれていたのがヒノキとコウヤマキです。ヒノキと並んでもっとも有用な樹木の一つだったのです。それなのに現在ではわずかしか見られないのは、大量に消費 され、かつ造林がはかられなかったからなのです。

木材の大量の伐採と消費をものがたる資料がたくさんあります。弥生時代から古墳時代、河内平野の周辺にはたくさんのコウヤマキが生育していましたが、一 瞬にして姿を消していきました。木材が水に強いので、木棺の材料として大量に伐採されたのです。朝鮮半島の百済の王の墳墓からも、コウヤマキでできた木棺 が見つかっています。海をへだてた日本から移出されたのかも知れません。明治18年(1885)、永禄年間(1558-1569) に建設されたとされる東京・千住大橋の橋の杭が大洪水によって折れた際、その樹種を東京帝国大学で鑑定したところ、コウヤマキだとわかりました。水に強い 証拠です。

関西では、お盆の行事にこの枝葉を先祖の霊に供えます。京都では、8月16日、盆の槇としてます。聖霊がコウヤマキの葉に乗って来るとされるのですが、 その由来はよくわかっていません。お盆の頃、生育地や植物園で植栽するコウヤマキの枝が、街角での売買のために大量に切り取られ、ずいぶん被害が出ていた ことが記録にあります。

水に強いだけでなく、生きたコウヤマキは火にも抜群に強く、高野山の寺院のたびたびの火災のときも、コウヤマキの群生が類焼を防いだことが知られていま す。

一方、古くから木棺に利用されてきたので、コウヤマキは不浄の木とされ、明治神宮の境内の造営にあたって、この木を植えることを避けたと言われていま す。

歴史をくぐり抜けてきたコウヤマキを大切にしたいものです。