くらしの植物苑観察会

毎月第4土曜日(13:30 ~ )

1 1月 25日(土)第3 2回くらしの植物苑観察会 
「根栽類の世界」 
講師:小西 達夫(国立科学博物館)

★ 10月 24日~ 1 1月 19日
くらしの植物苑季節展示『古典菊』

古典菊(こてんぎく)

  • 執筆者:渡邊重吉郎
  • 公開日:2000年10月18日

日本の伝統植物を代表するのが菊です。唐の時代までに中国では鑑賞用の菊の祖先がつくり出されたといわれています。日本にも、唐からさまざまな文化とと もにもたらされ、古代・中世と宮廷の人々を中心に珍重されました。江戸時代には、日本独自の園芸によって、およそ300もの品種が作りだされました。こう して日本で独自に発達した菊を古典菊と呼んでいます。 10月 24日から始まる季節展示『古典菊』では、各地に残る以下のような主要な系統を展示します。

肥後菊
宝暦年間(1751~1763)、肥後の名藩主といわれた細川重賢が、文化政策の一つとして栽培しはじめたと伝えられ、 240年余の歴史があります。文政 2(1819)に肥後藩主別当職の秀島七右衛門が「養菊指南車」という著書をあらわしてから、独特の栽培法が確立しました。現在の栽培法、花壇作りの方 法は当時とほとんど変わることなく伝承され、独特の権威を誇っています。
嵯峨菊
京都の大覚寺に伝わるものが唯一とされています。その由来は、嵯峨天皇のとき、大覚寺境内の大沢池にある「菊ヶ島」に 1本の野菊が芽生え、天皇がそれを 好んで茶会や歌会に並べ鑑賞したと伝えています。 2m近くまで伸ばす仕立て方は嵯峨菊独特で、皇居の殿上の回廊から鑑賞できるようにしたといわれていま す。明治になるまでは大覚寺のみで栽培され、門外不出でした。
伊勢菊
嵯峨菊を改良して作り出したと考えられています。由来は、応永 19(1412)年頃、伊勢の国司であった北畠満雅が嵯峨村亀山御殿から持ち帰って栽培し たという説と、伊勢神宮の斎王が京から取り寄せて栽培し、やがて伊勢の風土になれて変化したという説があります。ちぢれた花弁は垂れるものが多く、珍奇な 形の花をつける菊として貴重です。
江戸菊
江戸時代の寛保年間(1741~1744)から江戸を中心に栽培されてきました。江戸菊は、管弁・さじ弁・平弁と菊のすべての花弁の種類を持っていま す。古典菊の発達においては中心的な役割を果たしてきたので「正菊(しょうぎく)」とも呼ばれていました。独特の花弁の動きから「狂い咲き」と呼ばれ、花形が変化するので「狂菊」とも呼ばれました。始めは花弁が垂れ、花の中央部を露出させますが、その後、平弁やさじ弁が捩(よじ)りながら立ち上がり、花の 中央部を包み込みます。花弁の表と裏の色が異なるため、捩れるにつれ裏の花色が目立つようになり、花色模様の変化に趣があります。