このページの目次
第348回「東国古墳時代像の再構築」第347回「近世祭礼図にみる行列」第346回「『自然』に寄り添い、生きる」第345回「考古学・人類学からみた縄文人の生と死」第344回「徳川治宝の楽器収集とその時代」第343回「木戸孝允をめぐるあれこれ」第342回「『できない』への小さな挑戦」第341回「遷都の古代史-『動く都』から『動かない都』へ-」第340回「源平争乱の時代と信仰」第339回「洛中洛外図から風俗画へ」第338回「蔵書の歴史-天皇・公家の文庫を中心に」第337回「子ども博物館の誕生」

第348回「東国古墳時代像の再構築」

開催要項

日程 2012年12月8日
講師 広瀬 和雄 (当館考古研究系)

開催趣旨

「大和政権が反乱を制圧して地方支配を拡大し、中央集権国家を生みだす」といった既往の古墳時代像は、『日本書紀』史観と発展史観に基づいています。それが、「東国では前方後円墳の出現は遅くて、前方後方墳をつくった独自の世界があった」などの通説を流布させています。しかし、それは事実とは違います。茨城県梵天山古墳などは1期(3世紀中頃)の大型前方後円墳だし、前方後方墳が卓越するのは栃木県と埼玉県にすぎないのです。

各地の首長層は「もの」と人のネットワークでつながっていて、畿内の有力首長層(大和政権)が、そうしたシステムを推進していました。そして、3世紀中頃に各地首長層を統合して<前方後円墳国家>をつくりました。東国の有力首長層も最初からそれに参画していましたが、大和政権の東国統治は、特定の首長を後押したり、移住させたりして進められたようです。この講演では、そういった新しい東国古墳時代像の一端をお話します。

第347回「近世祭礼図にみる行列」

開催要項

日程 2012年11月10日
講師 八反 裕太郎 (頴川美術館)

開催趣旨

日本人は並ぶのが好きだ。とにかく並ぶ。フェルメールの名画を観るために、そして阿修羅像を拝むために、はたまた携帯電話の新機種をいち早く入手するために。日本人の特性かとも考えたが、一つの目的のために行列を作るのはどうやら古今東西のことのようである。しかしながら、強引に割り込むこともなく、行儀よく行列を作るあたりは、日本人の特性ともいってよかろう。このように、「行列」という行為は、現代の日本人にとって日常的なこと、つまりは生活の一コマともいえる。決して非日常的なものではない。しかしながら、「非日常の行列」というものも存在する。それは祭礼の行列である。祭礼の場そのものが非日常的な要素が濃厚なため、その行列とくれば、非日常的なことはいうまでもない。そのような視点のもと、近世期の祭礼行列の在り方について、祭礼を描く絵画作品を例に分析を試み、祭礼行列の世界について深く考えることとしたい。

第346回「『自然』に寄り添い、生きる」

開催要項

日程 2012年10月13日
講師 吉村 郊子 (当館歴史研究系)

開催趣旨

わたしたちは、都市か農山村か、日本か他のアジア、アフリカなど、どこで暮らすにせよ、さまざまなかたちで「自然」とかかわりながら生きています。自然とは実に幅広い概念を含む言葉ですが、ここでは、わたしたち人間の暮らしの場/環境としての自然について、考えてみたいと思います。

その素材として、ある木炭生産地のようすと、そこで炭を焼き続けてきた人びとのライフヒストリーを取りあげて、お話したいと思います。高度経済成長期以降、木炭の需要が激減していくなかで、人びとはなぜ炭を焼くことを選び、続けてきたのでしょうか。また、彼らは炭を焼きながら、森林とどのようにかかわり、さらには、そこに自らの暮らしや想いをつなげてきたのでしょうか。

「炭焼き」という生業を営む人びとの姿は、決して均質的なもの―皆がみな同じというわけではありません。人それぞれに“炭焼き”としての生き様があり、自然(森林)とのかかわり方があります。そうした多様な“個(人)”の営みという観点から、人と自然のかかわりの可能性について、考えてみたいと思います。

第345回「考古学・人類学からみた縄文人の生と死」

開催要項

日程 2012年9月8日
講師 山田 康弘 (当館考古研究系)

開催趣旨

縄文時代の遺跡からは、しばしば埋葬人骨が出土します。人骨が残存していた埋葬例・墓から得ることのできる情報量は非常に多く、葬られた人の年齢や性別だけにとどまらず、既往症や死因がわかる場合もあります。また、考古学的な情報と人類学的な情報をあわせて検討することによって、葬られた人の生前の社会的地位や役割などを推定することも可能です。これまで演者は、考古学と人類学両方の見地から、縄文時代の埋葬例について検討を重ね、当時の人々がどのような死生観を持っていたのかという点について研究を行ってきました。今回は、縄文時代における特別な埋葬例を取り上げ、この問題についてお話ししたいと思います。また、最近ではこのような「縄文時代の死生観」が、ターミナルケア・自然葬など「現代における死をめぐる様々な問題」を考える際の糸口になるという視点からも考察を加えてきており、この点についても触れることにしたいと思います。

第344回「徳川治宝の楽器収集とその時代」

開催要項

日程 2012年8月11日
講師 遠藤 徹 (東京学芸大学)

開催趣旨

徳川治宝の生きた江戸時代の後期は、武家式楽として確立した能楽が武家社会を中心に根を張り、演能から切り離された謡曲が広まり、世間では地歌箏曲、浄瑠璃、歌舞伎などが発達した時代でした。一方、日本音楽史の通史では触れられることが少ないですが、応仁の乱以降の著しい衰退期を乗り越えて復興をとげた宮廷の雅楽が、三方楽所(京都方、南都方、天王寺方による合同の楽団)によって安定して伝承された時代でもありました。

そうした中で、支配層として官僚化した武家は、儒学の官学化を背景に、武家式楽の能楽を飛び越えて礼楽としての雅楽に接近するようになっていきました。一部の武家の礼楽への関心は、宮中雅楽にとどまらない広がりももったようです。徳川治宝の楽器収集の背景には、このような時代の動向がありました。出品されている治宝の楽器コレクションを紹介しつつ、それらを通して時代相を考えていきたいと思います。

第343回「木戸孝允をめぐるあれこれ」

開催要項

日程 2012年7月14日
講師 樋口 雄彦 (当館歴史研究系)

開催趣旨

当館が所蔵する旧侯爵木戸家資料には、比率は高くないものの、維新の三傑の一人である木戸孝允(桂小五郎)に関する資料が含まれています。講演者はその資料整理を担当したこともあり、本講演ではその中から従来あまり省みられなかった資料や史実を紹介してみたいと思います。ただし、ふだんは対立する立場にあった幕府の側の人物について研究しているため、木戸孝允本人については詳しくありません。従って、その取り上げかたは真正面からではなく、少し変わった方向からの、こぼれ話的な内容になります。具体的には、神道無念流の剣術や高島流砲術を通じて形成された幕府側との人脈(韮山代官江川家をめぐる諸事実など)、維新後の新政府に出仕した旧幕臣(たとえば岩倉使節団参加の人々)との人間関係などを話題として提供したいと思います。

第342回「『できない』への小さな挑戦」

開催要項

日程 2012年6月9日
講師 宮田 公佳 (当館情報資料研究系)

開催趣旨

できたらいいけど、そんなことできないよ。こんな風に思ったことは無いでしょうか? 先人たちの努力によって、様々な「できない」ことができるようになり、世の中便利になりました。不可能と思われていたことを可能にしてしまった人たちのおかげです。技術屋の仕事は、技術を使って社会に貢献することです。その結果として、重く大きかったものが軽く小さくなったり、遠くまで速く正確に移動できるようになったりしています。これらは多くの人たちの挑戦の結晶と言えます。私の専門である画像工学の分野でも、たくさんの結晶を見ることができます。いくつかの事例を引用しながら、技術屋を自称する私がこれまでに関わった、ほんの小さな挑戦の足跡をご紹介いたします。ややこしいことを分かりやすく説明する、そんなことはできません、とは言わないことが本講演への私のチャレンジです。

第341回「遷都の古代史-『動く都』から『動かない都』へ-」

開催要項

※第11回国際博物館の日記念事業

日程 2012年5月12日
講師 仁藤 敦史 (当館歴史研究系)

開催趣旨

古代の都はどのように移り変わってきたのでしょうか。「動く都」から「動かない都」へと転換した理由を解明します。頻繁に遷宮・遷都が行われた飛鳥・難波の宮から千年の都となった平安京まで、都城の役割と遷都の意味を、制度・外交・交通・経済・儀礼などから検討します。王権の確立と都市貴族の誕生、水陸交通の発展などの分析を通し、古代都市の成立過程に迫ります。古代の遷都は、権力的には天皇権力の確立および国家のみに従属する都市貴族の育成、経済的には米の消費の増大にともなう水陸交通の重視などが大きな課題となり、平安遷都によりそれらが一定の達成を迎えたことにより「動かない都」になったとの見通しを述べます。

第340回「源平争乱の時代と信仰」

開催要項

日程 2012年4月14日
講師 村木 二郎 (当館考古研究系)

開催趣旨

源平争乱に象徴される12世紀。これは古代を後ろへ押しやり、力強く中世へと踏み出した激動の時代でした。白河、鳥羽、後白河。清盛、頼朝、義経。日本史の巨頭たちが次々と現れては消えてゆく華やかな舞台を、考古学の成果を素材にみていきます。

平安京が再編され、政治経済の中心であり続ける中世都市京都。チャイナタウンが展開し、東アジアへの大きな窓を開いた貿易都市博多。奥州藤原氏の平泉。武士の都鎌倉。中世の歴史を次々と書き換えていく最新の研究成果を紹介します。さらに、盛者必衰の時代を背景に、当時の人びとをとらえた浄土の教えとは。権力者が建設した巨大な寺院や膨大な仏像群ばかりが注目される12世紀の信仰のあり方を、全国に広まっていく経塚を手がかりに考えてみたいと思います。

第339回「洛中洛外図から風俗画へ」

開催要項

日程 2012年3月10日
講師 小島 道裕 (当館歴史研究系)

開催趣旨

16世紀初頭、首都京都の全景を一双の屏風に描いた「洛中洛外図屏風」が登場します。そこには、応仁の乱から復興し、新たな近世都市へと向かう京都の姿がつぶさに描かれていました。現実の都市社会を題材にした洛中洛外図屏風は、権力者の自己主張から名もなき人々の暮らしまで、非常に多くの要素を含んでおり、歴史資料としても貴重な存在です。

そして、洛中洛外図屏風に描かれていた多彩な内容は、時代が進むにつれてさまざまなジャンルに分化していきます。名所、祭礼、職人、遊楽などの、身近な対象をクローズアップした、人間中心の絵画への発展が著しく、そこには、背景となる社会や政治体制、そして人々の都市を見る視点の変化が反映されています。

このほど開催する「洛中洛外図屏風と風俗画」展では、当館が所蔵しながら、なかなかまとまって展示する機会がなかった6点の洛中洛外図屏風と、初公開の資料を含む関連する絵画資料を中心に、館外からも資料を借用して、洛中洛外図屏風から近世風俗画への展開を提示したいと考えています。出品予定の作品と描かれた内容を紹介しながら、歴史的な展開をたどってみたいと思います。

第338回「蔵書の歴史-天皇・公家の文庫を中心に」

開催要項

日程 2012年2月11日
講師 小倉 慈司 (当館歴史研究系)

開催趣旨

記紀など古代以来の文書典籍が今にいたるまで伝わり内容を知ることができるのは、多くの蔵書家(機関)の手によってそれらが守られ、また伝写されてきたからです。たび重なる災害や変転をくぐり抜けて現在にまで伝わるには、多くの苦労・困難がありました。このような蔵書の歴史について、今回は歴代の天皇や公家に焦点を当てて紹介することにしたいと思います。歴博には天皇に関わる典籍コレクションとして「高松宮家伝来禁裏本」、公家の文庫として「廣橋家旧蔵禁裏文書典籍類」が蔵されています。前者は江戸時代に後西天皇や霊元天皇が収集した文書典籍が有栖川宮家を経て高松宮に伝わったもので、古写本のみならずすぐれた新写本が含まれることで知られており、現在も皇室に伝わる東山御文庫本と密接な関係を持っています。後者は藤原北家の流れをくむ堂上公家で文筆の家として名高い広橋家に伝来したもので、代々の当主は日記を残し、また古写本の収集にあたったため、多くの貴重な典籍古文書が含まれています。

第337回「子ども博物館の誕生」

開催要項

日程 2012年1月14日
講師 佐藤 優香 (当館情報資料研究系)

開催趣旨

チルドレンズ・ミュージアムは、身近なできごとや環境をテーマにその意味や仕組みを体験を通して理解することができる子どもを対象とした博物館です。最初のものは、アメリカのブルックリンで設立され、その歴史は1899年に遡ることができます。次いで1913年にボストンで設立され、現在チルドレンズ・ミュージアムの数は全米だけで200館を越えます。

日本のチルドレンズ・ミュージアムは、ほとんどが1990年代に入ってからの開館です。そのため日本における「子ども博物館」の歴史は近年始まったばかりかのようにとらえられがちですが、1928年には日本で最初の子ども博物館が京都に設立されています。仏教児童博物館と名付けられたその施設は、先のボストン・チルドレンズ・ミュージアムとも交流を行い、活発な事業を行ってきました。

本講演会では、日本で最初の子どものための博物館である仏教児童博物館の設立の契機となった日米親善人形交換事業、ボストン・チルドレンズ・ミュージアムとの交流から生まれた事業などに着目し、設立の経緯と活動内容などをみていきます。また、現在れきはくで取り組んでいる子ども向け事業についても紹介します。