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第324回「旗本退屈男の事件簿」第323回「武家の史料学」第322回「博物館資料を記す・探す」第321回「島のくらしは旅ぐらし」第320回「3~5世紀東アジアの国際交渉」第319回「アジアの境界を越えて」第318回「歌川派版木からみる錦絵の色と技術」第317回「環境変動と縄文時代の始まり」第316回「移民史から考える戦争と差別」第315回「日本の家族の行方」第314回「正倉院文書を複製する」第313回「東海道の創造力」

第324回「旗本退屈男の事件簿」

開催要項

日程 2010年12月11日
講師 高久 智広(神戸市立博物館)

開催趣旨

寛政改革を主導した老中首座松平定信は、その著書のなかで「寄合は三千石のもののみ烏合といふべきほど、たれつかさどるものもなければ、おのづから人がらもあしく成り侍りぬ。ことにこれらは遂て番頭などのおもき頭役にも成り侍るものにし侍れば、ことに簡要のところにて侍る」と述べています。「寄合」とは、幕府の役職に就かない三千石以上の上級旗本を指します。彼らの多くは武功によって取り立てられた家筋の者たちで、定信も彼らを、本来は昇進を遂げ、幕府直轄軍を指揮する番頭、もしくはそれ以上の重役を勤めるべき存在と位置づけています。しかし泰平の時代が続くなかで、彼らの武門としての役割は縮小・形骸化していきます。また幕府の官僚システムが整備されていくなかで、行政的な役職がより重視されるようになると、「寄合」は大身の無役・無勤の士として扱われるようになります。こうした状況のなか、彼らの中には御用や役職を勤めることを敬遠する者、経済的に逼迫し、知行所や家来の取締りがままならない者、さらには遊興にふけり、風紀を乱す者も目立つようになっていきました。このような旗本たちを監督する役職として新設されたのが寄合肝煎です。

今回の講座では、寛政期に寄合肝煎に就任した本多成孝の残した日記を通じ、「寄合」と呼ばれた上級旗本たちが、寛政の世を如何に生きたのかを探ってみたいと思います。

第323回「武家の史料学」

開催要項

日程 2010年11月13日
講師 高橋 一樹(歴史研究系)

開催趣旨

武士は平安時代のなかばから江戸時代の終わりまで、おおむね9世紀以上にわたって日本列島に存在しました。そのあいだに、ひとくちに〈武士〉といっても、その存在形態や社会における役割も大きく変化していきます。かなり単純化していえば、戦士としての武士から支配者として行政能力をはたす武士へ、そして再び戦士としての姿が強く求められていくわけです。

このような武士を輩出する家を、武家と呼ぶことにします。武士は個人で男ですが(巴御前や板額御前といった女傑はひとまず措きます)、武家は男と女から成り立っています。武士と武家を分けて考えた場合、それぞれを特徴づける史資料にはどのようなものがあるのでしょうか。また、もともと武士が発生した貴族社会の公家との対比ではどうか、支配される側の百姓などの家と比べるとどうなるか、あるいは同じ武家でも、中世の武家と近世の武家では何が同じで何が違うのか、近世の武家は中世の武家をどのように見ていたのか、といった視点をいくつか設定することができます。

他者と武家を多様な史資料にもとづいて対比的に分析することで、武士や武家を相対的にとらえることができるように思います。そして、都に集住しつづけた貴族(公家)とは異なり、都と地方社会のどちらにも足場をおいて活動した武士とその家が、かれらを基盤とする3つの幕府(鎌倉・室町・江戸)が断続的に成立した歴史ともかかわって、日本の中世から史料の生成や伝来にどのような役割をはたしていったのか、という重要な検討課題も浮かび上がってきます。

これらのモチーフのもとに、現在開催中の企画展示のご案内を兼ねて、いまあえて“武士とはなにか”という問題提起がなぜ必要か、についてもお話してみたいと思います。

第322回「博物館資料を記す・探す」

開催要項

日程 2010年10月9日
講師 安達 文夫(情報資料研究系)

開催趣旨

人間文化研究機構の発足時に、同機構を構成する歴博を始めとする機関が公開するデータベースをまとめて検索できるシステムを構築する計画が立ち上がりました。研究分野が異なる機関の多様なデータベースをどうすればまとめて検索できるかが課題となりました。

歴博は所蔵資料全体を対象とする館蔵資料データベースに加え、資料群毎のデータベースを公開しています。当然ながらそこに付された情報はまちまちです。しかし、何らかの共通性を見出せないか、研究者が資料を記すとき、どのような見方をしているのか、データベースに記された情報から探ってみました。最初の手掛かりは、所蔵資料データベースと文献目録データベースの比較から得られました。

共通的な情報として10程度の項目にまとめることができました。これを利用して統合検索システムを実現しました。データベースをまとめて検索することにより、思わぬところに思わぬ資料があることを発見できます。この利用の例を紹介します。

第321回「島のくらしは旅ぐらし」

開催要項

日程 2010年9月11日
講師 松田 睦彦(民俗研究系)

開催趣旨

瀬戸内海には約700の島があり、そのうちの約150の島に人が住んでいます。島は水に囲まれた小空間であり、とくに瀬戸内海の島々は山がちです。したがって、土地への依存度の大きい農業には明らかな限界があります。しかし、島の外に目を転じてみると、海は360度、すべての方角へと開かれた道となります。

島に暮らす人びとは近年まで、島の中で営まれる生業と、島の外で営まれる生業とを巧みに組み合わせながら生活してきました。一般的に島の外で営まれる生業は「出稼ぎ」と呼ばれますが、「出稼ぎ」という言葉には暗いイメージが付きまといます。しかし、その実態は島のくらしをもっとも安定的に支えた存在であり、若者にとっては島の外の空気を満喫する機会であり、ビジネスチャンスでもありました。私は島の外で営まれる生業を島の人の言い方にならって「タビ<旅>」と呼んでいます。

「タビ<旅>」を中心とした島のくらしは、私たちに働くということ、家族のかたち、故郷との関係などについて、多くの示唆を与えてくれるでしょう。

第320回「3~5世紀東アジアの国際交渉」

開催要項

日程 2010年8月14日
講師 東 潮(徳島大学大学院教授)

開催趣旨

企画展示「アジアの境界を越えて」の一環として、倭をめぐる3~5世紀の東アジアの国際交渉という視点から境界を考えます。歴博の共同研究(2006~2008年)、〈『三国志』魏書東夷伝の国際環境〉の成果をもとに、東夷伝の世界のなかで倭を位置づけ、魏志倭人伝から魏志東夷伝の考古学へと展開します。4~5世紀にかけての東アジア諸国(倭・高句麗・百済・加耶・新羅・北朝・南朝)の王陵(帝陵)、陵園制を概観し、王権の特質をみます。東アジア諸国の国際関係を遺跡(墓)や遺物(装身具)のひろがりからとらえます。

第319回「アジアの境界を越えて」

開催要項

日程 2010年7月10日
講師 上野 祥史(考古研究系)

開催趣旨

境界を越えること、それは未知の世界との出会いです。人類の歴史は、こうした境界を越える営みの積み重ねであるといえるでしょう。中国大陸を中心とした東アジアでは、歴史の流れの中にいくつもの「境界」を見出すことができます。しかし、境界とは、一様なものではなく、時代や視点・立場によって姿や形を変えます。さまざまな「境界」を眺めることは、「グローバル」な現代を理解し、その明日を考える上で有効であると思います。
   境界をどのように見出すことができるのか。
   境界を越えるとき何が生じるのか。
この二つの視点から、アジアの古代と近現代にみえる境界を眺めてみたいと思います。この講演会では、企画展示をご紹介するとともに、そのエッセンスをお伝えする予定です。

第318回「歌川派版木からみる錦絵の色と技術」

開催要項

日程 2010年6月12日
講師 小瀬戸 恵美(情報資料研究系)

開催趣旨

錦絵の版木は山桜の材に彫られて摺りに用いられますが、その大半は摺られた錦絵の商品価値が低くなると、鉋で削られて他の錦絵にするための版木としてリサイクルされていました。錦絵の輪郭や主要な部分を描き、他の色のガイドラインとなる主版(墨版)は版元にとって資産価値があるゆえに現存することもありますが、色版はその消耗品的な性質もあいまってほぼ現存することはありません。以上の点からも当館に所蔵されている「歌川派錦絵版木」群(総枚数368枚)のように単独の版元が短期間に作成した版木が色版も含めて現存しているのは極めて稀であり、また368枚という枚数も世界最大規模のものです。これら大量の版木を精査してみると、色やぼかしのなどの絵師の細かな指示が直接、板に書かれていたことや錦絵が摺られた当時の顔料をそのまま残したものがあるなどがわかり、今後の研究により、今まで明らかでなかった錦絵制作の過程が明らかになる可能性があります。今回は、科学機器などを使用した色材分析など、今現在おこなわれている「歌川派錦絵版木」群研究の一端を紹介したいと思います。

第317回「環境変動と縄文時代の始まり」

開催要項

日程 2010年5月8日
講師 工藤 雄一郎(考古研究系)

開催趣旨

本館では2009年10月14日から2010年1月23日まで、企画展示「縄文はいつから!?-1万5000年前になにがおこったのか-」を開催しました。この展示では、炭素14年代測定による研究によって、日本列島で最古の土器が約1万6000~1万5000年前まで遡り、世界最古の土器の一つであることが分かってきことや、当時の環境変化との関係、その後の縄文文化の広がりなどを示しました。

縄文時代が始まる頃にあたる1万5000年前には、現在の我々が経験したことがないほど大きな、地球規模での環境の変化が起こっていました。これは10万年に1度の大きな出来事であり、世界各地で人類の活動に様々な変化をもたらしました。縄文時代の始まりはその一つです。そこで今回は、この環境変動がどのようなものだったのかについて、最新の研究成果を紹介したいと思います。また、日本最古の土器が見つかっている青森県大平山元I遺跡の研究などを紹介し、日本列島での土器の出現の意義や、縄文時代の始まりをもう一度考えてみたいと思います。

第316回「移民史から考える戦争と差別」

開催要項

日程 2010年4月10日
講師 原山 浩介(歴史研究系)

開催趣旨

本館では2010年3月16日から2011年4月3日までの約1年間にわたり、特集展示「アメリカに渡った日本人と戦争の時代」を開催しています。この展示は、日本からアメリカへの移民史を概観すると同時に、いくつかのコンテクストを内包しています。

まず第一に、戦争のような極限状態においては、ある人びとを「他者」として捉え、しかも差別や迫害の対象にしていくという、ある意味では人類にとって普遍的な問題を扱っています。第二に、人びとの間に不断に引き直され続けている、制度的/心理的な「境界」とその変容を示しています。さらに第三に、歴史や社会を「移動する者の視点」から捉えることの意味を問うものでもあります。

これらの、活字にすると抽象度の高い話になりがちな論点について、今回は展示をベースに紐解き、近現代史を考えることの意味を探っていきたいと思います。

第315回「日本の家族の行方」

開催要項

日程 2010年3月13日
講師 上野 和男(民俗研究系)

開催趣旨

いま、日本の家族は、また新たな変動期を迎えています。明治以降の日本の家族は、明治・大正・昭和戦前期の「家制度」を中心とする親子関係中心型の家族から、第二次世界大戦後の民法改正を経て、夫婦を基本とする夫婦関係中心型の家族に変化しました。1960年代から顕著になる資本主義の発展にともなう、いわゆる「核家族化現象」は、この変化をさらに促進させました。

しかしながら、1990年代後半から日本の家族には、これらとは異なるあらたな変化があらわれました。その代表は、核家族よりさらに規模の小さい単独世帯の著しい増加、とくに老人単独世帯の増加です。単独世帯の増加は、集団として家族が機能することが困難となり、ますます社会に依存しなければ、家族そのものが存続しえないことを意味します。子供手当に象徴される育児の社会化や老人介護の社会化などはこうした流れのなかにあります。さらに、高齢化社会の進展、少子化、世代間継承の困難化、農村部の人口減少と都市へのいっそうの人口集中など、家族を取り巻く状況はこれまでとは異なる段階を経験しつつあります。こうした現代の家族をとりまく状況について、これまでの研究成果から考えて見たいと思います。

第314回「正倉院文書を複製する」

開催要項

日程 2010年2月13日
講師 吉岡 眞之(歴史研究系)

開催趣旨

正倉院文書は律令や、『日本書紀』以下の六国史とともに、日本古代史研究の基本史料の一つです。歴博では、1981年の創立以来、正倉院文書の全体をカラー、原寸大で原本に忠実に複製し、研究・展示に活用すべく、計画を進めてきました。この事業はようやく計画の半ばに到達した段階であり、その完成までにはなお数十年の年月が必要です。

それでは、なぜ原本に忠実な複製が必要なのでしょうか?それは正倉院文書を読み解くこととは何か、ということと深く関わっています。従来、正倉院文書を利用して研究をする場合、東京大学史料編纂所の手によって活字化された『大日本古文書』、もしくは宮内庁正倉院事務所が撮影したモノクロフィルムから焼き付けた写真を用いるのが一般的でした。しかし研究が高度化するとともに、正倉院文書を読み解く上でそれらは不十分であることが明らかになってきました。その間の事情について考えてみたいと思います。

第313回「東海道の創造力」

開催要項

日程 2010年1月9日
講師 山本 光正(歴史研究系)

開催趣旨

街道は文化創造の場です。多くの人々が行き交う街道は歌に詠まれて歌枕の地が成立し、伝承の地や見物対象が創り上げられていきます。街道の中でも最大の文化創造の場となったのが東海道です。海と山の景に恵まれた東海道はその景観だけでも旅人を魅了したでしょうが、東海道における創造力の最大の原動力となったのは『伊勢物語』東下りの段に登場する八ツ橋と杜若、宇津の山、富士山そして都鳥です。以降文学作品や美術工芸品は『伊勢物語』の影響を強く受けるようになります。それを代表するものが『平家物語』の平重衡の「海道下り」であり、道行文の名文といわれる『太平記』の「俊基朝臣再関東下向事」です。紀行文もまた八ツ橋以下を核として展開しますが、その間東海道の創造力に多大な影響を与えた西行も登場します。

近世に入ると出版の発達により『伊勢物語』をはじめとする文学作品は多くの人々の享受するところとなり、その影響は底辺を広げました。さらに中世の西行に対し、近世は松尾芭蕉を生み出し、東海道の創造力を強く刺激するに至っています。近代以降も東海道は文化創造の場として注目されますが、東海道の魅力が何処からきているかを少しでも理解してもらえればと思っています。なお講演の前半においては、「東海道の創造力」に辿り着く迄を話すことにします。