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第288回「海賊と鉄炮」第287回「桓武の王権を考える」第286回「長岡京遷都を考える」第285回「葬儀と遺影」第284回「九州~瀬戸内における弥生稲作の開始年代」第283回「年代測定法はどこまで進んだか-プレシジョン・デーティングへの挑戦」第282回「河川と耕地の景観史」第281回「しぐさの民俗」第280回「描かれた京と江戸」第279回「記録映画から見える近代」第278回「中世人の心と祈り」第277回「中世の内海世界」

第288回「海賊と鉄炮」

開催要項

日程 2007年12月8日
講師 宇田川武久(情報資料研究系)

開催趣旨

表題の「海賊」や「鉄炮」は歴史の話題になるものの、その実態は必ずしも明らかではありません。本公演の「海賊」では、戦国時代に瀬戸内海に活動した村上氏一族(因島・来島・能島)は海賊、水軍、倭寇などと喧伝されていますが、その性格はきちんと理解されているわけではありません。海賊は海上の諸権益(関銭・水先案内・海上の警固ほか)に基盤をおいた海辺の土豪をいい、水軍は戦国大名から軍船や戦闘要員を確保するための財源(直轄地)を支給された軍事組織をいいます。戦国時代から近世初頭における村上氏一族の活動を見ながら海賊の性格をあきらかにしたいと思います。

ついで「鉄炮」ですが、伝来や普及の実像については以外に知られていません。これまで種子島に伝えられた鉄炮が全国に伝播したと説明されていますが、鉄炮は十六世紀なかごろ西国地方一帯に分散波状的に伝えられたのです。鉄炮が各地に伝来すると、これに刺激をされて鉄炮の技術を会得して、諸国を遍歴しながら人々に鉄炮術を教えることで生活を立てる炮術師が輩出しました。鉄炮を全国に伝えたのは諸国を遍歴する炮術師の一団でした。鉄炮の伝来と伝播についてあきらかにしたいと思います。

第287回「桓武の王権を考える」

開催要項

日程 2007年11月10日
講師 清水みき(花園大学)
山田邦和(同志社女子大学)

開催趣旨

【桓武天皇の来た道】
桓武天皇の断行した山城遷都(長岡京・平安京)は、奈良朝政治の混乱に終止符を打ち、貴族層を本拠地である大和・平城京から引き離すことによって、千年の都の基礎となる王権の安定をもたらしました。そもそも傍流の光仁天皇がなぜ即位できたのか、僅か二年で井上皇后・他戸皇太子が廃され、なぜ山部王(桓武)の立太子が実現しえたのか。歴史上例のない渡来系の卑母をもつ桓武が政治闘争を勝ち抜く、その出発点に遡って考えてみたいと思います。(清水)

【長岡京・平安京と陵墓】
日本古代国家にとって王権の象徴といえるものは、都城と陵墓でした。都城の周囲に造営された陵墓は、前代の天皇や皇后を頌徳し、新しい王権を守護するためのかけがえのないモニュメントでした。非業の死をとげた皇族の場合には、陵墓は怨霊退散を念じるための宗教装置ともなりました。桓武天皇をめぐる后妃たちの陵墓、廃太子早良親王(崇道天皇)の山陵、そして桓武天皇自身の山陵の問題を検討することにより、桓武の王権の一側面にスポットをあてたいと思います。(山田)

第286回「長岡京遷都を考える」

開催要項

日程 2007年10月13日
講師 山中章(三重大学)
仁藤敦史(歴史研究系)

開催趣旨

長岡京遷都の理由としては古津から大津への改名など、天智の近江京遷都を模範とする意識が認められます。天智が十分には達成できなかった大和や河内・摂津地域からの本貫地移動を、百年後に隣接する「山背遷都」という形で成し遂げたと評価すべきであると考えます。また「水陸之便」が重視された背景に、都市的消費の増大により、米など重貨の運搬に適する水運に傾斜した交通路の整備に注目したいと思います。(仁藤)

長岡京遷都こそ新しい時代を切り開く一大事業であり、桓武新王権確立を内外に宣言する象徴的事業でした。これを契機に古代王権が培ってきた交通・流通・情報伝達の径路や方法が変更され、宮都に搬入される物質文化は大きく変容します。その具体像が半世紀を超える考古学研究により明らかになりました。歴史の一大変換点を実証する様々な考古資料を最新の情報から紹介し、その歴史的背景を考えます。(山中)

第285回「葬儀と遺影」

開催要項

日程 2007年9月8日
講師 山田慎也(民俗研究系)

開催趣旨

現在、亡くなった人を偲び礼拝するときに、遺影は重要な存在となっています。葬儀のおりには祭壇の中心に飾られ、とくに偲ぶ会、お別れ会のようないわゆる無宗教葬の場合には、写真だけが故人を偲ぶよすがとなっています。また家庭においても遺影が仏壇やサイドボードなどに置かれ、故人を思い出すだけでなく、供えものをしたり語りかけをしたりする人も多いのではないでしょうか。こうした故人の生前の写真を死者と同一視するようになったのはいつ頃からなのでしょうか。写真技術が日本に伝来してきてからわずか150年程の間に死者儀礼になくてはならないアイテムになっていった遺影について、ここでは考えていきたいと思います。

第284回「九州~瀬戸内における弥生稲作の開始年代」

開催要項

日程 2007年8月11日
講師 藤尾慎一郎(考古研究系)

開催趣旨

【日本列島で水田稲作が始まったのはいつ?】
水田稲作がいつごろ始まったのかを知るために、最古の水田に伴う土器に付着した炭化物や、水田で使われた杭や矢板の年代を測定しています。佐賀県菜畑(なばたけ)遺跡、同梅白(うめしろ)遺跡、福岡県橋本一丁田(はしもといっちょうだ)遺跡、同雀居(ささい)遺跡などから出土した資料を対象におこなった炭素14年代測定によって、九州北部では紀元前10世紀後半に水田稲作が始まっていたいことがわかりました。

【中・四国で始まったのはいつ?】
大分県玉沢条里地区跡、愛媛県阿方(あがた)遺跡、高知県田村遺跡、同居徳(いとく)遺跡から出土した炭化物を測定したところ、前9世紀に高知県へ、前8世紀には大分県や愛媛県など瀬戸内の西部でも始まったことがわかっています。島根や岡山でも同じ頃に始まっていたと考えられます。

【日本版較正曲線を用いた2400年問題への取り組み】
中・四国で弥生稲作が始まる時期は、炭素14年代の2400年問題と呼ばれている時期に当たり実年代を特定するのが最も難しいといわれてきました。歴博では日本の樹木をもとに作った較正曲線を独自に作成して稲作が始まった時期の特定に成功しています。IntCa104ではわからない貴重な研究成果です。

第283回「年代測定法はどこまで進んだか-プレシジョン・デーティングへの挑戦」

開催要項

日程 2007年7月14日
講師 今村峯雄(情報資料研究系)

開催趣旨

年代は、歴史を記述するときの最も重要な要素です。暦が発明される以前の年代を知るためにさまざまな試みがなされてきましたが、決め手となってきたのが自然科学による方法です。先史時代の年代をはかる方法として世界で最もよく用いられるのは、炭素14年代測定法、年輪年代法、ルミネッセンス法です。近年、炭素14年代法では、炭素14の同位体比、すなわち炭素原子に占める炭素14濃度を、加速器質量分析(AMS)という方法で測定するのが標準的な方法になっています。装置の進歩によって、年々その精度はよくなっていて、安定した条件下では数値上±10年(炭素年)レベルの測定が実現されつつあります。また、大気の炭素14濃度の変化を補正するための「較正」(キャリブレーション)のデータや方法も整えられてきており、得られる年代に対する信頼性がこの十年の間に大きく向上しました。一方で、資料ごとに得られる結果を検討することが重要で、課題がある場合にはそれらを丹念に解決して年代の精確さを改善する必要があります。この講演では、炭素14年代測定法を中心に、その現状と具体的な研究例を紹介します。

第282回「河川と耕地の景観史」

開催要項

日程 2007年6月9日
講師 青山宏夫(歴史研究系)

開催趣旨

嵐山の渡月橋で有名な桂川は、鴨川とならんで平安京を代表する大河でした。都の内外を描いた洛中洛外図屏風にも、上京隻の左上隅近くで、筏流しの桂川が金雲のあいだに見え隠れしています。そこに描かれた桂川をみると、限定された河道をもち、安定的な流れを保っているかにみえます。しかし、現実は必ずしもそうではありませんでした。古代から中世までのあいだにもその河道は変化し、現在のそれとは大きく異なるものでした。一方、その周辺に暮らす人々は、こうした自然環境が変化してもなお、ときにはそれを巧みに利用さえして、生活を営んできました。現在われわれが目にする景観は、自然の力のみではなく人々の力もまたその形成に与っています。この講演会では、古代から中世までの桂川を取りあげて、自然による河道の変化と人々による耕地開発について、古地図・地形図・空中写真などを主な資料として考えていきます。

第281回「しぐさの民俗」国際博物館の日

開催要項

日程 2007年5月12日
講師 常光徹(民俗研究系)

開催趣旨

しぐさは人間の成長過程のなかで習得していく社会・文化現象であり、基本的な動きはそれぞれの民族の文化的な鋳型にはめられています。多様なしぐさのなかから、呪術的な意味を帯びた事例を取り上げて、その民俗的な背景について述べてみたいと思います。具体的には異界を覗く呪的なしぐさとしての「股のぞき」に注目します。自分の股の間から顔をだして逆さまにものを見る股のぞきは、児童のあそびのなかではたまに見かけますが、一般には目にする機会の少ないしぐさです。しかし、このしぐさの伝承を注意深く眺めてみると、民俗世界の興味深い一面が姿を現してきます。妖怪や幽霊の正体が分かるとか、異国の風景が見えるなどといった俗信が各地に伝えられています。私たちの日常の時空間の外側の世界である異界としぐさとの結びつきについて考えてみたいと思います。

第280回「描かれた京と江戸」

開催要項

日程 2007年4月14日
講師 小島道裕(歴史研究系)
大久保純一(情報資料研究系)

開催趣旨

洛中洛外図屏風が成立した16世紀は、日本における「都市の時代」がはじまった時代でした。京都は応仁の乱から立ち直って近世都市への歩みをはじめ、地方でも戦国大名の城下町などが次々に建設されていきました。現存最古の洛中洛外図屏風として知られる「歴博甲本」を中心に、この時代の都市の様相を読み解いていきたいと思います。(小島)

巨大都市であった江戸の町は、その市街地全体はどのようにイメージされ、絵画化されていたのでしょう。「江戸図屏風」など江戸初期の画像から、歌川広重らの江戸末期の浮世絵までを概観し、江戸の町のグランドイメージの成立と展開について、絵画史的な伝統とも関連づけながら考察してみたいと思います。(大久保)

第279回「記録映画から見える近代」

開催要項

日程 2007年3月10日
講師 内田順子(民俗研究系)

開催趣旨

日本で初めて映画の撮影がおこなわれたのは1897年、フランスのリュミエール社から派遣されたカメラマンによってです。京都・大阪・東京・北海道などで、宴会や食事、通りを行く人々など、さまざまな「日本の光景Vues japonaises」が撮影されました。作品のいくつかは当時の日本でも上映されましたが、多くはフランスで上映・公開されました。同じ頃、ヨーロッパの民族学はその調査に映画という最新の記録機器を用いはじめます。日本人が、民族(俗)学に映画を用いるようになるのは、1920年代のことです。アイヌ民族の生活を記録した八田三郎の仕事のほかに、日本の民俗研究においては渋澤敬三が先駆的な業績を残しています。本講演では、記録映画の歴史を概観しながら、日本の民俗研究における記録映画の先駆的な例を参考上映します。

第278回「中世人の心と祈り」

開催要項

日程 2007年2月10日
講師 村木二郎(考古研究系)

開催趣旨

相次ぐ戦乱や飢饉。中世の人たちは、思いがけない災難がいつ降りかかってくるかわからない、不安な毎日を過ごしていました。そうしたなか、それまで貴族が独占していた難解な仏教が、わかりやすい浄土教として広く庶民にまで浸透していったのです。忌まわしい現世から逃れて、来世は極楽浄土へ生まれ変わり、救われたい。そうした願いをかなえるためには、いま生きているこの世で功徳を積まねばならない。その思いは、文献記録には残っていなくても、考古学の世界に多くの足跡を残しているのです。経塚、墓、石仏や五輪塔、板碑といった供養塔を通して、中世の人たちの心を探ってみたいと思います。

第277回「中世の内海世界」

開催要項

日程 2007年1月13日
講師 高橋一樹(歴史研究系)

開催趣旨

いま私たちは、“海”というと日本海や太平洋のような海洋を思い浮かべます。しかし、古代や中世に生きた人びとにとっては、潟や湖なども「海」でした。現在の海洋が「塩海」「外海」であるのに対して、潟湖(せきこ)や大きな河川の入江は「水海」「内海」などと呼ばれていました。本日の講演でとりあげる「中世の内海」とは、このような潟湖や河川の入江をさします。古代から中世にかけて、沿岸部を中心に数多く存在した内海の世界とはどのようなものであったのか、そしてそれらの内海が近世以降どのような経過をたどって姿を消していくのか、その歴史的な背景はなにかを、具体的な事例に即して考えます。