祇園感神院とも言い、明治の神仏分離以降は八坂神社と呼ばれる。起源は、876年(貞観18)の牛頭天王(ごずてんのう)勧請などに求められるが、京都の東の境に設けられた疫病神の性格を持ち、後に祇園祭りとなる御霊会(ごりょうえ)の定着と共に発展した。京都の代表的な名所の一つであり、門前には釜を備えた茶屋も描かれている。