コレクション名:羽柴秀吉書状

有馬家旧蔵   天正十年(1582)八月、羽柴筑前守秀吉が、播磨国三木郡淡河城主有馬則頼に淡川谷内三二六〇石の地を宛行った書状。天王山の合戦で明智光秀を滅して約二ケ月後のことである。その後実質的に畿内支配を展開しつつあった秀吉が、彼の配下にいた武将たちに知行地を宛行い、その支配を固めようとした政策の一端を示すものである。