コレクション名:九条経教書状

紙本墨書掛幅装(紙数1紙)  南北朝~室町  関白・氏長者を歴任した九条経教が、随心院(現京都市山科区小野)に対し、光明峯寺(廃寺、趾は現京都市東山区本町)塔・金堂供僧職を同院の門跡が兼帯するよう報じた書状。 光明峯寺はもと九条道家の山荘で、道家没後も随心院と一条家および九条家が管領したことは、『随心院文書』、『九条家文書』(宮内庁書陵部所蔵)に詳細である。従って本書状もかっては随心院または九条家に伝来したものと推定される。本文書の筆蹟は応永三年十二月廿七日付九条経教遺誡に、花押は同上遺誡および応永六年十月十五日付九条経教御教書袖判にそれぞれ一致し(『九条家文書』) 、経教の自筆と認められる。