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●読書案内
『津田梅子』大庭みな子



3.津田仙と梅子
佐倉は順天堂大学の発祥の地であり、教育や、学問がさかんな地でした。
津田仙は佐倉藩士であり、藩主堀田正睦の時代の佐倉でうまれ育ちました。
蘭学を学び、アメリカに留学、明治維新の前にちょんまげを切ってしまう改革派の人物でさまざまな偉業を成し遂げた人です。
農業技術の研究、学農社農学校の設立、のちには、青山学院(現在の青山学院大学)の創立や、筑波大学付属盲学校の前身である楽善会訓盲院の設立にも尽力しました。
また、足尾銅山の被害地救援運動や閉山運動にも尽力し、それを支えました。
また、いち早くキリスト教を学び、東京における日本人最初のメソジスト派のキリスト教徒だとも言われています。
その娘が、日本初の女子留学生であり、また津田塾大学を創立した津田梅子です。
彼女は、1871年、8歳のときに、開拓使海外留学生として、アメリカに留学。
1882年に帰国後、華族女学校の教授補として英語を教えましたが、伝統的な女性教育になじまず再度の渡米。
日本の女性の地位を向上させる必要性から、みずから自由な教育ができる学校を作ろうと考え、1910年東京の麹町に女子英学塾(現在の津田塾大)を創設しました。


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