
●読書案内
司馬遼太郎『胡蝶の夢』
吉村 昭『長英逃亡』『日本医家伝』
津本 陽『開国』
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2.蘭学、そして開国へ
安政5年(1858)老中であった佐倉藩主堀田正睦らの努力によって、日米修好通商条約が結ばれ、蘭学はいっそう盛んになっていきました。
「蘭方医学を学ぶなら佐倉にゆけ。というのが東日本のその道の志望者の常識になりはじめているが、その塾は、良順の実父佐藤泰然のひとりの手で興った。ただ、佐倉十一万石の領主堀田正睦が江戸城の茶坊主あたりのあいだで『西洋堀田』というあだなをつけられたほどの開明家だったことも、順天堂の繁栄の条件のひとつとなっている。」
司馬遼太郎の『胡蝶の夢』の一説です。
森鴎外が医師であったことはひろく知られていますが、彼の父静泰(せいたい)は佐倉で佐藤尚中(佐藤泰然の養子)に医学を学びました。
鴎外自身も、佐倉藩士であった依田学海という漢学者に漢学を学び、彼を自身の作品『ヰタ・セクスアリス』に「文淵先生」という名前で登場させています。
また、佐倉を訪れた際の印象を、「後北游日乗」(のちのほくゆうにちじょう)に記しています。
鴎外が佐倉において作った漢詩は、現在も歌碑として佐倉市の飯野町にある国民宿舎『湖畔荘』にのこされています。
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佐倉惣五郎伝説 |
津田仙と梅子 |
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